オウンドプラットフォームしてみる
令和になってからはnoteで連載をしていた私のブログ、「葉留場日誌」だがしれっと自分のドメインとレンタルサーバ上で再開した。
もともと移行した理由もそれ以前のブログのwordpressへの攻撃によるサーバの不具合であり、自らでシステムを運営するよりも優れたUIとサーバ管理を実施してくれる場所に預けたほうが良いという判断からだ。
しかしここ近年、さまざまなプラットフォームで経営者やその設置国の政治情勢等等に合わせて運営方針が変更され、それによる避難所としての新たなプラットフォームが誕生しても定着せずという状況が続いている。また金銭的効果を優先し刺激の強い広告や、誰かの意図を持ったとても恣意的なタイムラインの構成が情報の送受信のノイズとなっている。そんな状況で、私たちは情報を発信・受信する時に果たして私自身を維持していられるのか。人間だから多少の偏りやベースメントはあって当然だが、必要以上に自分以外の意向を受けていないだろうか。もしくは、自分の思想を神格化し過ぎていないだろうか。不安になる。
そしてインフラの老朽化はインターネットも例外ではなく、老舗の掲示板やホームページサービスが躊躇なく失われる今、発信してきた情報を永年にわたって守れるのはプラットフォーマーなのだろうか。いいえ、私自身でしかないのではないだろうか。
生成AIの処理能力は向上し、ただの文脈もなくとりあえず会話してみるだけの存在から、圧倒的な技術的知識をもとにそれを人々のふとしたアイデアに結びつける連関能力を持つまでの存在になった。かつてHTMLを書き、無料レンタルサーバに上げて遊んでいた我々にとっては好機である。仕様を並べれば、瞬間的に生成AIが欲しいシステムを作ってくれる。あとはその遊びの知識でシステムが本物かどうかを確かめ、修正や運用をしてみるだけである。
サーバと気合だけ用意しておけば、最も簡単に既存のプラットフォーマーの外にあるオウンドプラットフォームが出来上がるのである。ここではデザイン、機能、タイムラインすべてが私自身が制御することができる、外部のプラットフォーマーの意図によらない、つまり現代インターネットにおける割とまっさらに自律的空間なのである。今後、以前のバックアップデータもここに加えていくつもりだ。どこまでいけるかはわからないが、今後ここを私の新たなアーカイブそして「私自身」にできればと思っている。